LOGIN第 百十三話 里はいずこか 「わぁ~♪」 梅乃は感激していた。 人生で初めて船に乗り、海から見える陸をみて喜んでいる。 「梅乃ちゃん、船は初めてかい?」 大木がニコニコしながら訊くと 「前に小さなタライ船に乗ったことがあります……」 梅乃はケロッと話す。梅乃がタライ船に乗ったのは玲たちに誘拐された時だ。 宴席でその話を聞いた事があった大木は思わず苦笑いになっていく。 (そんな壮絶な経験をアッサリと……) 梅乃が海面を見ていると小さな魚が跳ねている。「大木様、これは何という魚でしょうか?」 梅乃が訊く。 キラキラした眼に大木は思わずドキッとしてしまった。 (いかん…… 梅乃はまだ十五歳じゃないか……) 陸から離れ二日、近衛師団や医師団は顔を青くするようになっていく。 「うえ~っ―」 船酔いである。 「大丈夫ですか?」 梅乃は船で救護にあたった。 「軍艦は揺れるからな…… そのうち慣れるよ」 大木は笑っている。 (医師団は船に乗らないから解るが、兵隊さんも?) 梅乃が首を傾げる。 近衛師団は天皇直轄の陸軍であり、初めて船に乗る者も多かった。 軍医の一人の年配男性がやって来て梅乃に話す。 「これは船酔いと言って、揺れからくるものだ。 数日すれば治まるよ。 それまでは嘔吐や熱が出た
第 百十二話 交換条件 吉原には厳しい季節がやってくる。 「もう十月か…… これじゃ年末や正月の目処《めど》が立たないよ……」 妓楼では嘆き節が聞こえてくる。 その中で、一番の打撃を受けているのが三原屋である。 引手茶屋では勝来の殺人容疑の噂が消えていない。 時折、出てくることで勝来の客は遠のいていった。 (今は我慢だ…… しかし、このまま勝来が沈んでしまったら……) 采にも嫌な妄想が膨らみ始める。 「勝来姐さん、失礼しんす」 梅乃が勝来の部屋に入っていくと勝来の表情は沈んだままで、菖蒲が慰めていた。 「梅乃……」 菖蒲が言葉を漏らす。 梅乃はキョトンとして 「姐さん、なんで暗い顔をしているのです?」 その言葉を聞いた菖蒲は 「お前、なんで そんな事が言えるんだい? 勝来が殺人者の扱いをされていると言うのに……」 菖蒲が憤っている。梅乃は決して空気が読めない訳ではない。 「でも、疑いは晴れたじゃないですか…… 私だって何もしていなくても『死神』と呼ばれていましたから……」 梅乃がケロッと話す。 当時は落ち込んでいたが、段々と前向きになれたから言える言葉だった。 「ここまで三原屋を落としてしまった責任があるからさ……」 勝来が言葉を漏らすと
第 百十一話 耐え難きを耐え吉原に戻ってくると、静かな雰囲気だった。 昼見世の時間、多くの客は夜の為に品定めをする。 どの娘と遊ぼうか……だ。大見世の客は遊女を替えることはしない。 最後まで選んだ遊女と過ごしていくのが一般的である。 中には金持ちや舞台役者などが顔を見せると、違う遊女を指名することもある。 そんな中、ゆっくりだが三原屋で成績を伸ばしている妓女がいる。 千だ。千は気遣いの達人であり、どの客にも優しく接している。 今までの吉原の風習であれば『女性上位』であり、妓女が嫌がれば簡単に出入り禁止になってしまっていた。吉原の大見世は格式が高く、客は黙ってご機嫌を伺うようになっていた。 その風習に風穴を開けたのが千である。「源八様、着物が破れかかっていますね。 縫ってあげますわ……」千が客の着物の糸がほずれているのを見ると、静かに縫い出す。 客は黙って酒を飲んで待っていた。千は客の顔を識別できない。 遣り手の元で客が支払いをするときに、遣り手が客の名前を呼ぶ。 そうして客の名前を覚えていった。 その為か、千は客の選り好みはしない。 誰にでも平等に接していくうちに、多くの客は千の癒しを求めるようになっていった。 「千姐さんは凄いです」 禿の一花が驚いていると 「せ 千姐さんは気遣いが凄くて、私も勉強になるんだ」 古峰が微笑んで説明している。 昼見世の時間が終わり、多くの客が帰っていく。 千も玄関で見送っていると
第 百十話 容疑 警察署では勝来の取り調べが行われていた。 「お前、花魁だろ! どうして殺したんだ?」 「私は殺していませんし、叩いてもいません」 こうなると取り調べではなく、尋問となっていく。 それは三日間、同じ事を繰り返して警察も勝来も一歩も引かない状態になっていた。 吉原では悪い噂が流れ、三原屋は閑古鳥が鳴くような状況になっていく。 「はぁ……」 采が困った様子になっていくと 「お婆…… 勝来姐さんは大丈夫ですよ。 何もしていないのですから、信じて帰ってくるのを待ちましょう」 梅乃は心労の采をなだめていく。 「では、行ってまいります」 小夜が元気な声を出すと、後ろに梅乃がついていく。 二人は警察署に向かったのだ。 吉原から早歩きで一時間ほど、「遠いな……」 小夜がぼやくと 「もう少し! 私が行った戦場は六時間ほどだったから……」 梅乃はニコニコしながら話す。 「梅乃は元気よね~ 昔から動きまくっていたものね」 そんな話をしていると警察署が見えてくる。 「あった。 ここに勝来姐さんがいる……」 「ごめんください」 今度は梅乃が元気に挨拶をする。 「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」 警察官が訊ねると 「ここに勝来姐さんがいると思うのですが……」 「勝来? あぁ、吉原の女郎か?」 警察官は書類を調べ、容疑者の面会室へと案内する。 待つこと十分。 待合室のドアが開くと 「勝来姐さん!」 梅乃と小夜が声を掛ける。 勝来の顔は疲れていた。 元々が細い顔立ちだが、更に痩せた印象だった。 「大丈夫ですか? ここではどんな事を……?」 小夜が訊くと、勝来は下を向きながら着物の袖をまくる。 そこには無数のアザが出て来た。 梅乃は警察官を見る。 警察官は普通の顔をして勝来を見ていた。 (拷問は当たり前ってことか…… 戦争も同じ、官と呼ばれる者が正義なんだろうな……) 梅乃は黙って警察官を睨む。 「姐さん…… これ、着替えです」 小夜が勝来に着替えを渡す。 「ありがとね」 勝来が受け取ると 「ここで着替えなさい」 警察官が言う。 「ここで? なら、しばし出ておくんなんし……」 「貴様は容疑者だぞ! 犯罪人をそのまま置いておけるか! 早く脱げ」 警察官は悪びれもなく叫ぶ。 勝来は数秒、下を向き “シュ…… ” 帯
第 百九話 伝統 秋になり、外は冷え込んでいた。 そこに二人の女が運ばれてくる。 「早く歩くんだよ!」 縄で縛られ、声も出せないように猿ぐつわをされていた。 これは吉原伝統の拷問である。 中見世の裏側、客も滅多に歩かない場所に大きな木がある。 そこには縄が掛けてあり、女を木に縛っていく。 「それで、誰に言われてやったんだい?」 三原屋の妓女が聞くが、勝来を襲った女たちは答えない。 すると “バシャッ―” 二人の妓女に水を掛ける。 秋が深まり空気が冷えて来た頃には水の冷たさが刺さってくる。。 「早く吐きな! これならどうだい?」 三原屋の妓女が棒を持ち、女たちを叩く。 江戸時代から昔、遊郭では足抜けが多かった。 会所の者が捕まえては妓楼に戻し、その後は三日間の折檻が続いたと言われている。 真冬であれば水を掛け、棒で叩くのは当たり前である。 折檻で死んでいく妓女も少なくなかった。 これは吉原だけでなく、日本の遊郭のしきたりのようなものだった。 今回は花魁への襲撃という悪事に対しての折檻ということになる。 しばらくの折檻が続き、黙ったまま采と洋蘭が見届けていると 「お婆、そのへんで……」 梅乃が止めに入る。 「何を言ってるんだい! 勝来が襲われたんだ。 こんなもんじゃ済まないんだよ」 采の目が厳しくなると、隣の洋蘭が何度も頷く。 厳しかった時代を過ごした二人には当たり前のことだったようだ。
第 百八話 影踏み勝来が引手茶屋から戻ってくると、三原屋では緊張が走った。それは勝来から溢れ出てくる気だ。 顔つきが険しく張った肩、そして普段なら静かで上品に歩くのが勝来なのだが……(間違いなく怒ってる……) 誰もが分かる雰囲気だった。「では、コチラでありんす……」 客を案内する勝来の表情は、表向きは笑顔だが普段から接している者には分かりやすかった。酒宴が始まると勝来は笑顔で接客するも「勝来さん? どうかしました?」 客も異変に気づく。「いいえ、何でもございませんよ……」 素っ気ない対応をすると客は黙ってしまう。「小夜、古峰~」 梅乃が二人を呼ぶ。「梅乃、どうしたの?」「勝来姐さん、戻ってきてから変だった…… 二人で宴席に入って見てきてくれない?」梅乃は遣り手の席から指示をする。 しっかり女将の代行が出来るようになっていた。“スッ――” 小夜が静かに襖を開ける。 客は困惑した表情で勝来に酒を注いでいた。「どうしたんだい? この宴席にお前達が来る所じゃないよ」勝来が厳しめの目で言うと「はい。 しかし、梅乃から言われまして……」「……」
第十一話 玉菊《たまぎく》灯篭《とうろう》七月、蒸し暑い吉原では活気が出てきていた。酒宴も多く、大見世から河岸見世まで客が溢れている。「おはようございます。 潤《じゅん》さん」 梅乃は男性職員に挨拶をする。「おはよう。 梅乃は、いつも早起きなんだな~」 そう言って、梅乃の頭を撫でる。この男性職員は 片山《かたやま》 潤一郎《じゅんいちろう》と言う。 いつも笑顔で、爽《さわ》やかな若い衆である。「今日も、ここを頼めるかい?」 片山は、梅乃にホウキを渡した。梅乃がホウキで掃いていると、少し後に小夜がやってくる。「梅乃、おはよ♪」 小夜はニコニコしていた。「どうしたの? なん
第十話 月下の涙 昼見世の時間、菖蒲は張りから外を眺めていた。 そして、誰かが通れば笑顔を振りまくが苦戦をしている。 「はぁ……」 菖蒲はため息をついていた。 「菖蒲姐さん……」 張り部屋の外から梅乃が声を掛ける。 「なんだい? 今は昼見世の時間。 何の用だい?」 「はい。 コレを持ってきました」 梅乃は、張り部屋の戸を少し開けて紙を中に差し出す。 「んっ? 何これ……ぷっ」 菖蒲が紙を見て吹き出した。 その紙は、梅乃が書いた菖蒲の似顔絵であった。 「なんだい? もう少し、上手に描きなさいな……」 菖蒲は笑っていた。 「へへへ……姐さんの笑顔が見たくて描きました」 梅
第九話 母の声五月、桜の花が全て葉に変わった頃、一人の妓女が吉原から出ていく。長年、三原屋のトップに君臨していた玉芳が身請けされるのだ。「本当に、この時が来るなんてね……」 采が涙ぐみ、話す。「今まで、本当にありがとう……母様《ははさま》」 そう言って、玉芳が采に抱き着いた。三原屋は、とてもファミリー感覚な妓楼である。「父様《ととさま》も、本当にお世話になりました」 ここでも玉芳が文衛門に抱き着いた。一階の大部屋では、祝賀ムードになっていた。妓楼の見世先には大量の花が届き、幕《まく》まで出していた。「おや、梅乃は?」 玉芳がキョロキョロして梅乃を探していた。「こんな
第八話 覚悟の時「えっ? こんな昼間に共ですか?」 梅乃と小夜が驚く。「そう。 勉強をしましょう」 玉芳は、そう言って出かける準備を始めた。そして向かった先は、仲の町にある瓦版《かわらばん》であった。「ごらんなさい。 ここに沢山の記事があるでしょ! ここから文字や出来事を頭に入れなさい」 梅乃と小夜は、瓦版を覗き込んだ。「これは何て書いてあるんですか?」 小夜が玉芳に聞くと、「これは、法度。 禁じられてる事を言うのよ」 玉芳は丁寧《ていねい》に教えていた。そこに鳳仙が現れた。「おや? 玉芳花魁、今日は昼間からどうしました?」「あぁ、鳳仙か……この娘たちの勉強さ。 妓楼